※このページは書きかけです。1950年から70年の間の情報を探しています。また、本番行為が行われていた時代も、定期的に規制が厳しくなり、全裸にはならないダンスショーを行ったこともあったと聞きますが、どうなんでしょうか

1947年、日本に初めてストリップが東京新宿、帝銀座で行われます。ただし、当時は規制が厳しく、出演する女性が動いてはなりませんでした。
そのため、額縁のなかで女性が名画のポーズをして見せるという手法をとり、これを額縁ショーと呼びます。
そのうち、女性が自力でうごかなければ大丈夫との考えから、ブランコに乗せて従業員が動かすというやり方も取り入れられます。

やがて、少しづつ規制が緩和され、1948年にはダンスを取り入れたショーも始まりますが、当時は、
股間に蝶の形をした前張りを付けていました。
浅草の劇場では、幕間にコントが行われ、有名な俳優を多数輩出しました。

1970年代には、性器を露出したショーも行われます。

このころから、各劇場が過激な出し物をやるようになります。

舞台上で、観客と踊り子が本番する、かの悪名高いまな板ショー、仕込みの男女がSEXをする白黒ショー、獣姦ショーなどの過激なものが、盛んに行われます。
他にも、女性器でラッパを鳴らしたり、タバコを吸ったりする花電車、SMショー(当時は残酷ショーと呼んだ)、全身に金粉を塗って踊る金粉ショーなど、出し物はバラエティに富んでいました。
もちろん、ダンスを売りにしたショーも、ちゃんと行われていました。

1984年、風営法の改正により、本番行為のあるショーが一切禁止となります。

その後、今のストリップに通じる、芸術性を売りにしたショーが盛んになります。
人気のAV女優を起用したり、おっかけをたくさん抱えたアイドルストリッパーの黄金期が訪れます。

どうですか?ストリップには、まな板のイメージが付きまといますが、ダンス、芸術面を売りにしたストリップは、もうずっと前からあったのです。

しかし、一部の劇場や温泉地では、1984年以降も細々とまな板ショーが行われ、2000年あたりまでは、まな板はなくとも、個室で本番サービスをしていたとの目撃情報があります。

まな板に代わって、観客が張方を踊り子の陰部に挿入するショーのことは、天板といいます。
また、天板と比較したまな板のことを、本板と言うそうです。

そもそも、まな板というのは、生でSEXが観られる→ナマ板からきていて、言いにくいのでまな板になったそうです。
                             
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ストリップの歴史

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